私の母は波乱万丈の人生を歩んできました。当時ではそう多くない、8人兄弟(内2人は幼少期に他界)の末っ子として生まれ、両親・兄姉から惜しみない愛情を受けて育ってきました。小さい頃は少食で体も弱く、度々学校を休んでいました。小学1年生の頃に母親が白血病で倒れました。薬代で家計は火の車となり、家族は生活費を切り詰め、子供たちは母親の代わりに家事や畑仕事などの手伝いを進んで行うようになりました。小学4年生の時に最愛の母親が亡くなり、生活はより厳しいものとなりました。
小学6年生の時、修学旅行がありました。もちろんお金がなくて行くことが出来ませんでした。それでも母は何一つ悔やんでいませんでした。何故かというと、修学旅行中、先生の好意で大好きな勉強を一人独占して受けることが出来たからです。小学生ながら、前向きな気持ちの持ちように感心させられました。
小学校を卒業した母は、今市高等女学校(現在の出雲高等学校)に進学し、立派な成績で卒業。卒業後は銀行員として働いていました。仕事熱心だった母は、自ら毎朝トイレ掃除をし、花を飾り、お客様や社員が過ごしやすい職場環境を作ることを心がけていました。仕事振りも丁寧で早く、上司やお客様からの信頼も高かったようです。
20代前半、母親と同様の白血病にかかり、長い闘病生活を送りました。一時は死を覚悟していましたが、兄が工面してくれた薬代のお陰で九死に一生を得ることができました。兄には感謝してもしきれないと言っています。銀行を退職した母は、知り合いの薦めで警察官と結婚をしましたが、毎日のように旦那と旦那の両親からひどい扱いを受け、数年足らずで離婚しました。その後、今は亡き再婚者から声がかかり、全く畑違いの会社に70歳を過ぎるまで勤めることになりました。勉強好きで仕事熱心な母は、またたく間に仕事を覚え、会社の中枢となって発展に大きく貢献しました。当初、数人だった小さな会社は、母の尽力もあり、多い時で120人もの従業員を抱えるほど大きな企業に成長しました。
現在、母は満96歳です。お話し好きで、沢山昔の話を聞かせてもらいました。そんな母からよく聞く言葉が、「今日があるのは、多くの人の支えがあるから。私は、毎日感謝をして生きている。感謝は、毎日を明るくしてくれる。」人は事あるごとに、不平や不満をこぼしがちですが、不足を言っても暗くなるばかり。誰もが明るい人生を願っているに違いありません。であれば、毎日に感謝をして生きていくことが、楽しい人生を歩んでいける近道ではないでしょうか。
私も明るく楽しい人生を歩んでいきたので、毎日に感謝することを心がけていきたいと思います。
投稿者:F